2014年04月18日

トカバニ(出張版)

「この広大にして混沌としたネットの海をさまよったあげくアクセス数が一日10PV回るか回らないかという辺鄙なブログに辿り着いてしまった物好きすぎる皆様こんにちは、我が輩は猫である」

「こんにちはー、ペンギンでーす」

「友人がブログを始めたいというから書き込み権利を渡したら何やら素人には理解しがたいプログラミングの話を延々と始めやがり、しかもそれがマニアックながらも好評という結果が突きつけられてアイサツに困っていたが、いい加減に創設者としては何か記事の一つでも書かねばヤバかろうということで何も考えずに書き出してみた。このような台詞を延々と書き連ねている時点でこのブログの訪問者はすでにブラウザバックをしていることと思う。これからは情報自動拡散器とも呼ぶべきネット海でまったく拡散されることのない会話を垂れ流していこうと思う。さあそろそろ読者数がゼロになったかな?」

「あんたいろいろマゾすぎてドン引きだよ。あたしも帰っていいっすかね」

「俺権限で却下だ。俺とこの鳥頭は今は亡きmixiというSNSで活動をしていたが、なんの縁があってかこちらのほうに流れてきた。既存のファン(0人)は久しぶりだな」

「いろいろ訂正したいがとりあえずmixiは別になくなってないよ。株式会社mixiに謝れ」
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in_450thearth at 12:53|PermalinkComments(0)横尾劇場 

2014年04月12日

真宵のベッド

 真宵のベッドは魔法のベッドだ。一晩眠ればたちまち悩みが解決する。癒しのベッドなのだ。そんな噂が囁かれ、彼女の家には連日連夜、友人知人や赤の他人がやって来て、ベッドで一晩過ごしては帰っていく。一宿のお礼に、ベッドを借りた人は朝に弱い真宵を起こして朝食をこしらえてやる。それが、真宵のベッドを借りるルールだ。
 真宵の本名は門音マコトという。門音という漢字を縦書きすると『闇』になり、マコトは『真』。二文字をもじって『真宵』。彼女の友人がそんなニックネームを付けて以来、真宵は真宵と呼ばれるようになった。
 真宵は一人暮らしの、低血圧気味な女子大生だ。女子大生とはいっても華奢な上に背が小さいから、中学生くらいに見える。真っ黒な髪は肩に届かないくらいで切り揃えていて、緩い服装を好む。部屋着はいつもパジャマだ。いつも眠そうに目をとろけさせているが、実は瞳が大きく黒目がちなことを、彼女と話したことのある人はみんな知っている。
 彼女は夜の九時になると早々に床に就き、朝日が昇るまで目を覚まそうとしない。しかし彼女は毎日寝不足に悩まされている。ベッドを借りにきた人の話を聞き、相談相手になっているからだ。毎日のように誰かが泊まっていき、彼女の睡眠時間を小一時間ほど奪っていく。そして真宵も眠い眠いとぼやきつつ、最後まで隣人の話を聞くのだから、なかなかのお人好しである。
 真宵のベッドを借りた人は彼女に感謝と親愛の情を覚えるとともに、それ以来、彼女の生活能力の低さを助けてやるようになる。真宵はいつも寝不足で朝が弱く、料理もへただ。面倒くさがりで掃除も洗濯もしたがらない。まあ掃除については、彼女の部屋は誰もが驚くほど物が少ないから問題ないといえば問題ないが。歌を歌うことが得意な彼女は、ベッドを貸すことで人間関係を築き、人と助け合っている。これはこれで円満な生活だと言えるだろう。だいたい彼女はお客に相談をされても毎日七時間は眠っているし、実を言うと、お客が語るベッドタイムストーリーが嫌いではないのだ。
 眠い眠いとぼやくのは、半分は本音だが残りの半分はお客を早めに寝かせようというささやかな心遣いである。もちろん真宵のベッドを借りる人は、彼女の優しさに気づいている。みんなは彼女に甘えている。真宵のベッドで寝ていると、真宵に甘えたくなるのだ。真宵はそれを許している。というか気にも留めていない。彼女はいつもの通り、素直に人と接するだけだ。
 妹のようで姉のようで、母のようで娘のよう。真宵は不思議な女の子である。
 真宵は今夜も、お客のベッドタイムストーリーに耳を傾ける。
 真宵のベッドは魔法のベッド。彼女のお客にとっては、一晩眠ればたちまち悩みが解決する、癒しのベッド。
 そして真宵にとっては、大好きな友人といっしょに眠れる、大切なベッドだ。

in_450thearth at 23:12|PermalinkComments(0)横尾劇場 

2014年04月11日

のこと玄能の使い方について再学習

職人というのは、力を抜きつつも最大限の効果を発揮させるノウハウに長けている。
適切な持ち方をして使うと、なるほど、疲れずに出来ると思った。
というわけで先日先輩から教わった、のこぎりや玄能の持ち方、使い方についてメモしておくことにした。
決してそれらを使ったことがないというわけではない。
俺はこれまでほとんど独学だったので、最適解を知らなかったというわけである。

まずのこの引き方だ。柄の後ろの方を持つ。
これはゴシゴシ力を当てて、引くのではなく、力を入れずにシャコシャコ引くのがコツである。力を当ててしまうと、まっすぐ切れなくなってしまう。
また、引くときに切れてゆくということを忘れずに。
「鼻の芯とのこの刃を合わせるんだ!」と言われた通り、刃の真上に鼻が来るように姿勢をつくると、ズレを抑えられる。

次に玄能の持ち方。これも柄の後ろの方を持つ。
手首のスナップを利かせて、力まずに振る。遠心力で叩く感じかと。
俺はこれまで狙いをずらしたくないからと、先っぽの方をもって、ちまちまと打っていたが、それでは疲れる割に効果が少ない。
リズムが保てるようになれば、ずれないから別に大丈夫だ。
あと平べったい方はいわゆるノーマルモード。若干丸くなっている方は、釘をより奥へ打ち込むためのものだ。

柄の後ろの方を持つと打ちやすくなるのは、要するに力のモーメントが大きいからである。てこの原理と基本は同じなのだ。
回転軸からの距離が遠いほうが、回転力(力のモーメント、トルク)が高まるというわけだ。

先輩達の技を沢山学んで、盗んで、もっと賢く仕事をするぞ。





taishudoor at 21:18|PermalinkComments(0)大周 

2014年03月26日

母のラップトップPCにlubuntu13.10を入れた。

もうじきwindows xpがサポート終了を迎えることは、特に書くまでもない有名な話だ。
母はこのxpがインストールされているPCを使用していたのだが、サポート終了に伴い、買い替えを検討していた。
だが、ハードウェア自体はまだ使えるので、OSがサポート終了するからといって、わざわざ別に買いかえる必要はない。
新たにOSをインストールすればいいだけの話である。
だから、今回俺は母のPCにlubutu13.10を導入させてさし上げた。

lubuntuを選んだ理由はいくつかある。
まず、その軽量さである。
素人目に見ても軽やかさやシンプルさにおいて、XPを確実に超えている。
ハードウェアの機能に不安があったので、軽いものを探す必要があった。

そして、初心者に優しいこと。これはubuntuならではである。
主に使うのは母なので、難しいことは可能な限り、退けなければならない。
ubuntu批判も、インターネット上のブログの記事などでちょくちょく読むけれど、それらは既に成熟したペンギン使い:Linuxerの意見なのであって、やはりLinux系OSの敷居を低くした功績は大きい。

それから、俺はUbuntuStudioを使っているので、互換性が高いと何かとやりやすい。

Mintでも良かったかなとも思うけれど、lubuntuは前から気になっていたのでlubuntuにした。

最後に簡単に使った感想を書く。
結論から言うと、LXDEはかなり使いやすい環境だ。デザインもKDEに劣らない完成度だと思う。
端末アプリ:Lxtermも特に不便さは感じないし、lubuntuソフトウェアセンターのシンプルさも気に入った。
ただ、デフォルトのファイルマネージャ:PCmanFMが惜しい感じかな。
「ここで端末を開く」機能がもう少しササッと出来たら、もっと嬉しい。
メニューバーから選ぶんだよね。(もしくはフォルダのアイコンを右クリック)

変えてもいいだろうけど、母はきっと端末で操作することが皆無だから、やるだけ無駄か。

ubuntuのバージョンアップももうじきなので、これを読んでいるあなたもlubuntuにしてみたらいかがだろうか。
おすすめです。

taishudoor at 13:14|PermalinkComments(0)大周 

2014年03月11日

ベニヤ合板と垂木で白い壁を作った時のメモ

とある劇団の舞台美術を手伝っていた。
舞台美術をやるのは、初めてである。
正確に言うと、これを書いている時点で公演は終わっていないので過去形では変なのだが、俺の役目はほとんど終わっているのでそう書いている次第だ。

どういうことを手伝っていたか、内容を書こう。(サイズ単位はmmです。)
それは一応自立する白いパネル(およそ3755×2270)を、垂木(30×40×3600)とベニヤ合板(1830×920×2.5:サブロク)を材料にして制作するというものだった。ちなみに一人で。

おおまかな段取りとしてはこうだ。
まず図面を描いて必要な部材を把握し、それをもとに材木店さんから材料を貰い受ける。
次に、もらった材料を然るべき大きさに切り、ビスと釘でつなぎ合わせる。
そして白ペンキを、ローラーで一面塗りたくり、乾いたら劇場に搬入して、組み立てるというわけだ。

俺は920×2270×40の木パネルを4枚作り、パネルの横に付けて支えとする300×2270×30の横木枠を2枚作ることにした。
もしかすると「そんなんで立つのか?」と怪訝に思う方もいるかもしれない。その疑念は正しい。実際自立しない。
だが、これは劇場内の壁際に立て、紐で倒れないように固定する設計にしたので、今でも問題なく立ち上がっている。嘘だと思うなら公演期間中に早稲田のLIFTに行けばいいだろう。

また、演出から「キレイな板にしてほしい」というお達しがあったので、それなりに工夫する必要があった。

作り終わった今だからラフに書いているけれど、作っている段階ではよくわからないで不安な点ばかりで、結構俺は困っていた。

まず道具がない。
新たに買うものが多くあり、それが少々頭を悩ませた。
方法もよく分からない。
結構ミスしてしまい、無駄な端材を多く出してしまった。
だがこれは、プログラミングでコンパイルなどのエラーを沢山通じて、コーディングを段々と学んでいくプロセスと同じように、大いなる学習となった。

正直メモるべきことが多すぎて、この記事だけでは書ききれないだろう。
でも、続編を書くのも大変だし、ちょっとめんどくさい。
なので、ここで簡単に箇条書きで述べきってしまおうと思う。まぁ、そんなに読む人も居ないだろうしな。

●のこぎりの引き方
いきなりごりごりやろうとすると切り口が美しくないし、まっすぐ切れない恐れがあるので、はじめは優しくすりすりと入り口を作ってやるのである。
刃が良ければ、自分ではほとんど力を入れず、重力だけで切れるので、道具の手入れは大切だ。

●けがき
うろ覚えだがプログラマーの格言にたしか「自分が書いたコードも3日経てば他人のコード」というのを聞いたことがある。
ケガキも同様だと思う。過去に木材に書いた印は、次第にその意味を忘れ去られてゆくのだ。
だから、コードにコメントを書くように、数字や記号などをちゃんと書いて分かりやすくすることが大切だ。
数秒の怠惰には、数十分もの困惑を生む危険あるのだ。
コンパイルエラーだったら単にテキストファイルを書き換えればいいかもしれないが、木材だと何回もやり直そうとすると取り返しのつかないことになりかねないこともあるので、注意しとかなくてはならない。

●木材は歪む
湿気や置き場所によって木材は曲がってしまい、正確な形にならないことが多々ある。設計段階では読めない問題も多いので、舞台美術では現場力が肝要となる。

●ベニヤ合板すべすべにするには
キレイな壁にする、という指示を満足させるために俺はとりあえず、ベニヤ板を紙やすりで研磨していた。
これですべすべになってゆくのだが、当然時間がかかる。下手をすると納期に間に合わなくなってしまうので、広範囲の場合は完全に非推奨だ。
手っ取り早いのは、いきなり研磨するのではなく、ベニヤの面にパテを薄く塗りこみ、木目を埋めてしまい、そのあとに軽くやすることだった。

●ペンキをパレットに移す
缶からいきなりドバッてやると、蓋がかぴかぴに固まってしまい、開けにくくなってしまう。なので、おたまやスプーン、レンゲのようなすくうアイテムが必要だ。これは作業場にいたTさんを見て、学んだ。

●ビスが垂木に入らない時は
ドリルドライバーなどを使っていても、ビスが奥まで入りきらないことは多々ある。
それを無理に押しこもうとするとネジ穴が潰れてしまうので、その時は落ち着いてビスを抜いて、ビットをドリルに入れ替えて、穴を少し広げてやるほうがいい。そうしたら、すーっと入るようになる。

●他人と共同で作業する時は
みんな似たようなものを使用しているので、必ず名前や印を付けておくこと。
また、「あれ?そこに置いておいたのに、ない!?」といったようなモノの紛失はバカバカしいながらも、あり得る話だ。
なので、ホームセンターで腰や肩にぶら下げる道具バッグを付けておくほうがいい。これらの道具はいわゆるキャッシュだけでなく、安全のためにも貢献する訳である。

●ペンキは薄塗り2〜3回がベネ

●ツナギを着ていても、塗料が染みこんでくる場合があるから油断するな。

●筆記用具は複数種類持つこと。

●激安の養生テープはのりが弱すぎるので、本当に仮止め以外に使ってはならない。

●金がたまったら、もっと馬力のあるインパクトドライバーを買うべし。便利になる。

こんなところだろうか。

舞台美術にも工業製品の生産やシステムの開発、建築の建設などの知恵を活かして行きたいトコロです。
勉強!

taishudoor at 19:00|PermalinkComments(0)大周 

2014年02月26日

プログラミング教育について思うことを少々書く

新聞やインターネットなどで、プログラミングを学ぶ機会を多く作ろうという云々の記事を、最近ちょくちょくみかける。

エンジニアが仕事のために、他の言語を学ぶというのとは違い、教養として学ぼうとのことだ。

授業にプログラミングを学ぶカリキュラムを組む学校や、コンピュータ分野の教育に特化した通信制の高校が現れているそうだ。(これからできるのかな?)

プログラミングを学ぶための言語や開発環境、というものもよくリリースされている。

最近だとScratchや前田ブロックとかがホットなようだ。

古いやつだとSqueakやLOGOなどが挙げられるだろう。

詳しくは知らないので、歴史については割愛だ。BASICやProcessingなどもそうだと言えるかもしれないが、それも割愛。

俺の周りでも、プログラミングに興味がある、という友人らはいる。

俺もまったくもって発展途上なのだが、教えることもしばしばだ。

先日も後輩に、余っていたあまり使わなくなったガイドブック(DirectX使ってる本とか)をあげるなどをし、実際的なプログラマー育成に貢献しているつもりである。

そういう風にプログラミングの支援をする際、どのように導いてあげるべきかは正直言って、少し悩む。

特に美大では、プログラミングの面白さや可能性、意義などを語っても、伝わらないことが多い。

同じ「ものづくり」の面白さがそこにはあるのに…。

なぜなのだろうか。なんで興味があるのにやらない人が多いのか。

難しいからと思うからだろうか。でも、難しいかどうかなんて、やる内容と方法によるから、それもなんとも言えないと思う。

そういえば、新聞に子どもたちにプログラミングを教えるコンセプトが、「基本的なコンピュータの仕組みを学ばせるため」といった事が書いてあった気がする。

それを読んだ時、「おいおいそれでいいのか?」と俺は思ってしまった。

コンピュータの仕組みを学んで欲しいなら、アセンブラ、もしくはせめてCを使うべきではなかろうか。

Scratchやsqueak、ましてやVBAの出番ではない。

俺もうまく言えないけれど、コンピュータを学ぶ意義というのは、未来の可能性をもっと広げるためではないのか。

また、今まで囚われていたものから自由になるためではなんじゃないかと。

こんなことを思います。プログラミング教育について。

この話題、また改めて書くことになりそうだな。

taishudoor at 01:45|PermalinkComments(0)大周